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​「旅先でのコミュニティーに恩返し!」













 

 僕の手は本当に汚い。指先が真っ黒。これはお金を使う度に指先が汚くなって行く。学校に行く途中、毎朝ジャックというお店で朝食10ソレス。そして、他炭酸ガス抜きのペットボトルのお水を買って1ソレス。放課後は買い物し放題なので、町の中を探索する。どんな小道にも入り、リーズナブルにおみやげが買える店を探す。これが楽しい。朝2時間で習ったスペイン語を試す機会だ。自分が何をしているか。どこからきたか。これからの計画。何を探しているのか。これを店員と話す。そして、隣のお店に入ってまたそこで同じ事を店員と話す。これを何件も繰り返す。そうするとスペイン語も上達するし、店主と知り合いになれる。すると、お土産が安く買える。 一石二鳥だ。店主のおじさんもおばさんも中には子供も計算機を持って、臨戦態勢に入っている。売る側にも気合いは入っている。 最初はお土産屋さんという感覚があるので、「一番安い所で買いたい!隣の店はもっと安かった!まけてくれ!」という気持ちがあるが、何日もお店を歩き回っていると、クスコにあるお店は、実はお土産屋さんではなく、限りになくお土産に近いアートスタジオといったほうが近いのではないかと考え始めた。その理由としては、全ての品が手作りだからだ。だから、他のお店で似たような物を見つける事はできるが、決して同じ物を見つける事はできない。そこで、僕は気に入ったアクセサリーを見つけたら、必ずそこで買うようにした。 太陽の形をした銀のネックレスを25ソレス。これを細かいコインで払った。また手が汚れてしまった。物を買う度に俺の手が汚れていく。何度も何度も指先を確認してしまう。歩き疲れるとだいたいお昼すぎの時間になっている。町の中心にアラマスプラザという二つの大きな教会があるところで、昼食をとる。二階のバルコニーからそこのプラザを行き来する人達を見る事ができる。マチュピチュに5日間かけて徒歩で行くインカトレッキングというのがある。その旅から帰ってきたのかと思うくらい、汚い旅行者が歩いていれば、それを「マッサージ?マッサージ?」といって勧誘する女性が道に立っている。そして、そのプラザの教会の前にツアーバスを横付けして、観光客が降りてくる。それを見計らってアンデスの色鮮やかな格好をした女性や子供が「写真?写真?」と観光客に近寄って行く。クスコに到着してすぐ、こういったアンデスの格好をした女性達が俺に「写真?写真?」と言って近寄ってきた。もちろん、写真が趣味な俺にとって、そんな色鮮やかな民族衣装を来た人たちは魅力的な被写体だ。構図を変えながら、ペンタックスでパシャパシャ写真を撮ると、なんとお金を請求されてしまった。「ただではないの?」周りの人は困った顔をした俺を見て、眉毛を上にあげながら、うなずいている。知らなかったのは俺だけだったらしい。そういった事を思い出しながら、昼食が終わり、その間も休みなく、コカ茶を体内にいれる。もちろんまた、支払いの時には手が汚くなる。しかし、ここではトイレがあるので、支払い後に手をきれいに洗う事ができる。お金を使う度に汚くなっていく僕の汚い手は振り出しに戻るのだ。店から出ると、女性の人達が「マッサージ?」と声をかけてくるが、2週間もいると顔を覚えられるのだろう、旅の終わりの頃に「マッサージ?」と声をかけてくる人はいなくなった。僕はタクシーを探した。クスコのタクシーは安い。どこにいっても町の中なら、2、5ソレスだ。これは80円くらい。タクシーを捕まえ、僕は孤児院に向かう。そう孤児院だ。



 クスコにある孤児院で2週間ボランティア活動をした。僕の計画は一週間スペイン語に通いながら、観光。そして、残りの一週間をペルーの国内にあてていた。クスコに到着してすぐに観光会社にいってティティカカ湖までいくらかかるか相談。しかし、想定外の事が起きていた。それはストライキだ。クスコから6時間かけてプノという町まで行って、綺麗なティティカカ湖の写真を撮る計画だったのだが、バスが走ってないらしい。怒った農家の人達が道に物を積み上げて道路を使わせないように妨害しているらしい。他にオプションはないだろうかと考えた。そうだ、ボリビアのラパスまで飛行機で行き、コパカパーナまでバスで行き、ティティカカ湖をペルー側でなく、ボリビア側から見る事ができる。聞いた所によると、ボリビアのコパカパーナから見るティティカカ湖はプノから見るティティカカ湖より綺麗だそうだ。観光会社の人に相談すると、クスコから往復$650で行けるらしい。もちろん、飛行機代にバス代、ホテルも料金に含まれている。ホステルの滞在プランもあるので、早く次の一手を決めなくてはいけない。時計を見ると、孤児院でボランティアをする時間だ。このボランティアはスペイン語の学校でお金を払うためにオフィスにいたら、サンフランシスコ出身の女性がオフィスの男性と話をしていたのを偶然聞いた。僕はクスコのコミュニティーの為になる事を探していた。


 孤児院の初日は何が何だかわからなかった。子供達がいっぱい外で遊んでいる。宿題はもちろんほったらかしだろう。でも、僕は宿題を手伝いに孤児院に来た。子供達に「宿題ないの?」と聞くと、「ないよ」と返事が返ってくる。でも、先生である僕はだませない。何人かの子供達は宿題があった。沢山の物でゴチャゴチャしている部屋に入り、一人の子の算数の宿題を見た。僕も丁度スペイン語の数字を覚えていたので、算数の宿題は楽しくできた。4ページするのに2時間かかった。他にもボランティアで来ている女性が僕に近寄ってきて、「ここにきて2週間だけど、子供達が宿題をしている所見た事ない。」といった。ちょっと僕は嬉しかった。



 本当の事をいうと、子供達に触るのが嫌だった。とにかく汚い。例えば、6才のアルベルトはホコリまみれで、いつも鼻水をたらしている。本当に最後にシャワーを浴びたのはいつかと聞きたい。旅行中に一番なりたくないのは病気だ。風邪をひいても誰も面倒みてはくれない。でも、きっとこの子達もそうだろう。風邪を引いても面倒みてはもらっていないだろう。アルベルトはきっと温かいシャワーを浴びた事がないだろう。誰も、フワフワなバスタオルを持ってきて、ぎゅっとタオルで包んではくれないだろう。僕はチョコレートを子供達全員に配った。孤児院の先生から何か配る時は必ず皆に配るようにと説明されていた。「僕も、僕も」と言いながら子供達は一列に並んだ。ただのチョコレートだが、子供達にとっては列を並んだもらうほどのお菓子だ。その瞬間、僕はペルー国内の旅行はやめて、クスコに残り、孤児院でボランティアしようと思った。それはティティカカ湖を見るために$650を払う事が馬鹿らしくなったからだ。そして、自分が恥ずかしくなった。どんな手段でも、ティティカカ湖を見ようとしていた僕はなんだったのであろうか。孤児院で子供達と過ごした方が子供の為になるし、僕もそっちの方が楽しいだろうと思った。次の日、僕はカメラを持っていった。孤児院の先生に話して、僕は自分の学校で生徒達を3年間写真を撮り続け、卒業したらプレゼントしている事を話し、孤児院の子供達の写真も次の2週間撮ってプレゼントしたい事を話した。子供達は首からぶら下げているペンタックスのカメラに気づき、カメラの前でポーズをとったり、鉄棒にぶら下がっている所を写真にとってくれと僕の注意を引いていた。しかし、悲しい事に気が付いた。子供達一緒には並んで写真をとる事を嫌がっている事だ。お互いの事を「泥棒」呼ばわりしている。多分、学校に行って、「泥棒」とクラスメートに言われているのだろう。子供達のほとんどは友達がいないと言う。カメラのファインダーから見える子供の顔は笑っていても、目は悲しそうだった。次の日、早速現像した写真を持っていった。一人の男の子に見せた。そして、彼の隣同士に立っている二人の子供の名前を聞いた。しかし、その子は二人の子の名前さえ知らない。一緒な孤児院にいて名前も知らないなんて悲しすぎる。僕は写真をとり続けた。いつもカメラを向けると笑ってくれた。なぜ、笑顔を見せてくれるんだろう。わからなかった。大人の勝手な都合で孤児院に住む事になり、名前も知らない子供と住んでいる。それでも笑顔を見せてくれた。


 ある日、孤児院でエルビスという名の男の子と話した。16才だ。孤児院に住んでいる中でも飛び抜けて大きい。エルビスは隣に座って英語で話し始めた。「英語を練習したいんだ。」エルビスは言った。2時間くらいは会話をしただろうか。彼はなぜ孤児院にいるかを話してくれた。「僕の両親はもう死んだんだ。僕には兄弟もいないし、親戚もいない。一人ぼっちなんだ。ここには10年住んでる。」彼には何もない。親もいない。ゲームもない。コンピューターもない。十分な食事もない。しかし、カメラを向けると笑ってくれた。僕は彼に何ができるかを考えた。持ってきていたお気に入りのT-シャツをプレゼントした。他には?しかし、すぐにエルビスが必要な物は人間関係なんだと気づいた。エルビスの事を気にかけている人がいると感じてもらう事だと思った。エルビスだけじゃなくて、孤児院にいる子供達全員だ。愛情を感じ、ハグしてもらい、キスしてもらい、肩によりかかり、時には赤ちゃんみたいでいたいだろう。物は関係ないだろう。彼らに与えられたロッカーは本当に小さく、そこに入る物全てが彼らが持つ所持品だ。iPodもなし、ラップトップもなし、Wiiもないしプレステもない。物が増えると文句も増える。例えば、「私のiPod古い!」「コンピューター遅い!」「このコンピューターのハードの容量少ない!」「なんでiPhone持っちゃ駄目なの?この携帯もう古いし」僕は、物はでは幸せになる事はないと思った。孤児院の子供達はカメラを向けると笑ってくれる。それは僕が彼らの事を気にかけ、短い間だが、愛情を持って接している事を感じてくれるからだ。


 また手が汚くなった。孤児院の子供達と遊んで手が汚い。ボール遊び、鉄棒遊び、色々した。もう手が綺麗か汚いかなんて気にしていなかった。一人の男の子を赤ちゃんみたいに「高い高い」をした。「もう一回、もう一回」とせがんでくる。腕が疲れてできなくなるまで「高い高い」をした。なにせ相手は赤ちゃんじゃない。7才の子供だ。彼は僕の手を引っ張って、一人の女性の前まで連れていった。彼のおばさんらしい。その日はおばさんが彼に会いにきてくれた。彼はここの孤児院に友達がいるという事をおばさんに知ってもらいたかったのだろう。


 最終日は本当に辛かった。それは子供達が「今度はいつ戻ってくるの?」と聞くからだ。僕は「また、すぐ戻ってくるから」という返事をした。お金や物を寄附したりするのは大切だが、簡単だ。彼らが必要としている物は手では触れない物。愛情とか信頼だ。僕はこの2週間、世界はそんなに悪い所じゃないという事を教えたかった。それは世界にはきっとこの子供達の事を思っている人がいるという事だ。孤児院の先生は鳥のかごみたいな文房具入れをプレゼントしてくれた。そのプレゼントに名前を書くために子供達は列を作った。チョコレートの為じゃなく、友情の為だ。この大切なギフトを僕は汚い両手で受け取った。







後日談、

僕は翌年その孤児院に戻り、子供達と遊んだ。

手が汚くなるまで子供達と遊んだ。

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