結論:自分の取り扱い説明書は自分で書いて自分が読むもの。
Expectationsというのは、確かに「期待」という訳になりますが
「こうあるべきだ」「こうなるだろう」という、
「物事の状況が自分の願い通りになっていくだろう」という思いです。
きっとよくあるのが学校に対しての「期待」があります。
「学校はこうあるべきだ」
「先生はこうあるべきだ」という期待が高ければ、
「学校は変わらない。」
「やっぱり公立の先生って、こうなんですね」と言う言葉を聞きます。
でも、それでは、目の前の子どものニーズにはなかなか柔軟に対応することはできないでしょう。まず、物事を受けれていないので、建設的になれないです。
また、子どもに対しても、
「自分で決めたんだから」
「自分が言ったんだから」と
決めたら、手離しで自主的、または、主体的にやっていくだろうという「期待」です。
「決めたら=できる」ではなく、「決めたら=必要なサポートの上、取り組みはじめる」です。
「担任の先生が自分の子どもを理解したら、子どもの学校生活が上手くいく」という思いがあるとしたら、それは、「期待」でしょう。本来であれば、先生ではなく、子ども本人が自身を知っていくことで、自分とのコミュニケーションが上手になり、色々な場所で、色々な人たちとの活動が上手くいくからです。
よく「ウチの子の取扱い説明書が欲しいです」と話される人がいますが、それも、「取扱い説明書があれば、悩みは消える」という「期待」でしょう。
目的はなんでしょうか。親の悩みが解消されることなのか。それとも、子どもたち自身が自分と上手に付き合えることなのでしょうか。
「期待を手放せ」というのは、結果に対しての期待。あるべき姿への期待です。
自分の思った通りになったらという期待です。
でも、私は期待は持った方が良いと思っています。
でも、それは、「自分への高い期待」「大きな期待」
自分は、「ココロミルことができるという高い期待」です。
「まだまだ成長過程中でこれからこれから」という自分の成長への大きな期待です。
「感情に左右されるだけの泥沼の人生から抜け出し、最高の自分の最高の力を
引き出そう。そうした人生を毎日送れるような環境をつくろう。」
What to do when you don’t know what to do
「お主、何をして良いかわからない時、何をするのじゃ?」
このスローガン、壁に貼っておいてください。
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