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Erin Stallings

ギフティッド教育:ギフティッドと実行遂行能力

思春期は衝動的、感情的、インテンス、センシティブなど多感期な時期ですが、ギフティッドと見極められる子供たちは、これに拍車をかけ、「超」がいくつもつきます。

「超衝動的、超感情的、超インテンス、超センシティブ」

この時期に膝を突き合わせて、肩を並べて、話せる仲間たちがいるというのは、ギフティッドにとって、何よりも尊いものです。そして、この大変な時期にギフティッドの生徒たちが必要なものがあります。

それは、エグゼクティブファンクションスキルギフティッドと(実行遂行能力)を磨いていくことです。

私が教えていたギフティッドの中学校には、学習面ではあまり挑まれてこなかったギフティッドが入学してきていました。

何せ、小学校時代はほとんど挑まれてこないわけで、そして、勉強したことがない生徒たち、また一夜漬けの生徒たちなんですから、エグゼクティブファンクションスキル(実行遂行能力)なんて備わっていませんでした。

そして、年齢から考えてもまだまだ成長過程中なわけですから。

私たちが心にいつも留めておかなければならないのは、次の2点です。

①「まだ、備わっていない」ということと、

②「エグゼクティブファンクションスキルを育むのには、最高な時期」だということです。

エグゼクティブファンクションスキルってなんぞやというと、簡単にいうと、 私たちが手を差し伸べてしまうところです。

私たちがなかなか待てないところです。

私たちが子供たちの為にと思ってしてしまうところです。私たちが先回りしてしまうところです。

「もっと効率よくできないのかな」

「私だったら、今、もう始めているんだけどな」

「なんでも3日坊主」

「計画だけは立てるんだけどねぇ」

「段取りが悪いなあ」

「一夜漬けだったら、そんな結果だろうな」

と思う事柄です。

この時期、必要なのは、正しいやり方、効率良いやり方ではありません。必要なのは、試行錯誤して、自分なりのやり方です。子供たちが、好きなことに取り組んでいるのであれば、一歩下がって、エグゼクティブファンクションは育まれているか考えてみてください。

多くのギフティッドの子供は高度なことができていても、このエグゼクティブファンクションスキルは備わっていません。

大きな壁になりえるギフティッドの特徴&考え – 理解しているのであれば、なぜ実践する必要があるのか。 – 好き嫌いが明確。だから宿題は得意な好きな科目だけ。 – 完璧主義なところがあれば、できないような事には取り組まない。 – チャレンジしていないから、失敗もないという考え。 – 自分への期待が高いから、できないことへ厳しく自分を批判する。

「努力する」ということは自分ができないから。だから、やりたくない。それが意味することは、努力する自分を受け入れたくない。頑張る=自尊心を傷つける行為

今まで比較的なんでも簡単に物事を習得してきた。

時間がかかるものは、「自分が生まれ持ってできないから」という Fixedマインド(固定思考)があるかもしれない。

エグゼクティブファンクションスキル

1. 計画したり、予定を立てる

2. タスクを始め、それに集中し続ける

3. 感情や気持ちを制御する

ようするに 

「目的を達成するまでの計画」

「段取り」

「計画から遂行するまでのステップ」

「達成するまで感情に目を向ける」

「気持ちの切り替え- 気持ちに圧倒されるのではなく、圧倒するエネルギーに変える」

もし、学校で挑まれていないのであれば、心配することは「学校で何を学んでいるか。学んでいないか」ではなく、「何が育まれていないか」です。

しかし、このエグゼクティブファンクションスキルは、学校だけで学ぶものではないので、それが一番の良いニュースでしょう。

習い事、家族行事、生徒には、どんな短期なゴール、長期なゴールはどんなものがありますか。また、それに向かって計画がありますか?それは、可視化できていますか。

本人も周りも、目的が見え、過程が見え、進行状況が見えていますか。 より準備が必要な旅に出ましょう。 より準備が必要な冒険にでましょう。

誰もがわかる可視化したものを作成していますか。ボードなど良いです。家のみんなが見えるところに作ってください。生徒たちは頭の中でわかっているものを、書くこと、作ることで、より理解し、そして、タイムラインもわかると、ステップが明確になります。

ギフティッドの子供たちに挑みましょう!

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